カラカン日記 『トマトとサボテンと私』

エッセイ

今までの人生で一度も植物を育てたことはなかったが、娘が小学生になり、学校でいろいろな物を持ち帰ってくるようになった。

日本の通信講座からもアサガオやヒマワリ、お決まりの「種から育てるセット」が送られて来て、病的に面倒くさがりの私でも親として面目上、対応せざるを得ない状況である……。

しかし、いい加減なこの性格のせいで、数年間、いろいろなものを死なせ、枯らしてきてしまった。

今年、韓国の地獄の寒さを越冬し、人間家族の全員コロナ感染をサバイバルし、



辛うじて我が家に残ったのは


『トマト』と『サボテン』である。




この二つをずっと見ているが、本当に対照的である。

トマトは去年枯れた実を植木鉢に置き、上から土を掛けただけで、突然芽を出し、あっという間にメキメキ育ってしまった。

冬の間、完全放置して死んだと思っていた親株も、新しい芽が出て花を咲かせ、小さなトマトをまた付け始めた。


すごい。すごい生命力である。



これに対し、隣にいるサボテンは、同様に冬は放置して水もなく完璧に干からびて死んだと思ったけどこれまた生きていたようで、暖かい太陽と気温で、若干息を吹き返したようにも見える。
新しい葉がでたような、出ないような…

でも彼のこの1年半以上をかけての成長は

たった「葉っぱ3枚」だけである。


しかしサボテンを見ていると、ああこれは全く今の自分だなあと思った。

コロナもあったのでしょうがないけれど、最近はめっきり家に引きこもりで、生産性のない事ばかりをしている。

必要最低限の家事をこなし、買い出しと塾の送り迎え、家族の話し相手をするだけの毎日。
ここは外国だし、こんなご時世、気楽に会える友人も、趣味も仕事も簡単には見つけられない。

文化が違うというのは思ったよりもジワジワと致命的で、ちょっと家から出るだけで、合わない人々、合わない仕事、合わない食事。

四面楚歌である。

弱っていると、「違う」というだけで四方八方から攻撃を受けているほどのダメージを感じる。



何もかも自分に合わず泣きたい日々。
元気があれば、それでも打ち壊せるが、何度も打ちのめされ立ち上がる気力がもうない。

本当にこんな自分と、怠惰な生活が自己嫌悪で「死にたい」と言うほどアクティブな感情ではないが、もう消えてしまってもいいかなというような毎日であった。


でも、今日サボテンをみてて突然、「ああ、もしかしてこれでもいいのかなあ」と思えてきた。

私は3枚も葉っぱをつけられなかったけど、無事に数年生きてこられただけで、もしかして1枚くらいはつけていたのかもしれない。



昔は、本当に『トマト』だった。
私を知る人は誰もがそう言うだろう。

水はいつも足りず、何をしてても喉がカラカラだった。すべての場所に手を、足を延ばし、可能な限り人に会い、何かの実を結ぼうとしていた。

自分はどこまでも大きくなると信じていたし、あらゆる本を読み、世界のすべてを知りたかった。どんな遠くも、危ない場所も、一人で行くのも何も怖くなかった。


世界は輝きに満ちていて、私はいつも眩しい光の中にいた。

でも、いつからか、自分は目には見えない速さで、長い歳月をかけてゆっくりと、でも確実に枯れてきていて、このまま枯れるしかない恐怖で怯えていた。

こんな環境に引っ張りこんだ旦那にもいつも怒りが湧いていた。



日光が足りない、外国の水が合わない、栄養のせいだ、と環境のせいにして
元気だったころのトマトをいつも夢みて、あの頃に早く戻りたくて。



でも、トマトに生まれたからってトマトで死ななきゃいけないって訳でもない。

私はいつのまにかトマトじゃなくてサボテンになっていた。

自分はとっくの昔にもうサボテンになったのに、トマトのように生きたくて、毎日自己嫌悪していた気がする。

大切なのは自分がトマトではないこと、立派なトマトを目指さないこと。
サボテンになった事を認めること。

これが国際結婚という究極の環境の変化に適応した結果なのか、
それともこれこそが「老い」と呼ぶのかわからない。

でも、国際結婚をしなかったら自分は日本で、まだ花が咲いてるように見せたり、若いトマトと張り合ったり、昔どれだけ実をつけたか、自慢ばっかりするトマトになっていただろう。

そして、みんなにうざがられて、腐ったトマトのまま死んだ気がする。



国際結婚は正直後悔もしていた。

他にいくらでも選ぶべき道があったのではないかと、長い間、「彼がくれる幸せ」と背中合わせにあった「その後悔」に苦しんできたけれど。

もしかしたら私はサボテンになる運命が決まっていて、国際結婚は避ける事ができなかったのかもしれない。

トマトとしての人生は刺激的だけど辛い事も多かった。

ずっとキツい上り坂を登るような人生だった。

私は、無意識下ではそれ(サボテン化)を望んでいたのか、もしくはサボテンとして生まれ変われるよう、神様が主人に出会わせてくれたのかも……。



なんとなくすべてが肯定的に思えた一日だった。



これからはゆっくりサボテンとしての幸せをみつけていこう。



ん?サボテンとしてだったらもう十分幸せなのか?



ようやく長いトンネルを抜けれそうな気がしてきた。

ライター(カラカン)

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