百済~歴史の地の旅~(忠清南道/公州・扶余)

娯楽・趣味

韓国では、10月に祝日の関係で2回も3連休がありました。我が家はその時期を敢えて避け、10月後半の週末に家族で1泊旅行に行って来ました。 

行き先は私の住む忠清北道の隣の県(道)、忠清南道の公州(コンジュ)と扶余(プヨ)です。 

公州と扶余は、どちらも百済の都であった都市。市内には至るところに遺跡があり、また博物館に行けば多くの国宝とお目見えしました。1つ1つ趣深い歴史に触れ、非常に見ごたえのある旅行となりました。 

2日間を通し、素朴ながらも格調高い公州と扶余の都市の魅力を満喫出来た気がします。 到底2箇所全てを語りつくすことは出来ませんが、古都・公州、そして百済最後の都となった扶余を私なりにご紹介していきます! 

公州(コンチュ)

古都・公州。 

百済は何度か都を遷しましたが、公州は百済の第2の都となった場所です。 475年、百済は高句麗から漢城(今のソウル南部)を奪われ、当時「熊津」と呼ばれた公州に都を建設します。その後、63年間公州に都が置かれました。 

世界遺産(2015)・公山城(コンサンソン)

まず最初にご紹介するのはこちら、公山城(コンサンソン)です。 

百済は高句麗との戦いによって王都であった漢城を追われ、現在の公州(当時の熊津)に王都を遷します。その時に築城された城郭・王宮がこの公山城です。 2015年7月に「百済歴史遺産地区」がユネスコの世界遺産に登録されましたが、その中にこの公山城も含まれています。 

百済歴史遺産地区とは?

  • 公州(忠清南道)ー 公山城、宋山里古墳群(武寧王稜) 
  • 扶余(忠清南道)ー 扶蘇山城と官北里遺跡、定林寺跡、陵山里古墳群、羅城 
  • 益山(全羅北道)ー 王宮里遺跡、弥勒寺跡 

詳しくはこちらをどうぞ→百済歴史遺産地区(日本語)

 公山城は様々な歴史の舞台となった場所だそうです。それは百済時代だけにとどまらず、朝鮮時代に至るまでの間ずっとそうであったと言います。その為、公山城は歴史の地として有名ですが、一方でまた自然豊かなヒーリングの場所でもあります。城郭の周りを歩き、自然に触れ、憩いの時間を過ごす場所としてもおすすめです。

一般の観光の場合には、入口の錦西楼付近を散策します。城郭に沿って行くと、公州の新市街地を一望することができます。 

現在残っている石垣は朝鮮王朝時代のものですが、当時は土塁であったそうです。 

◆公山城(コンサンソン)

【住所】忠清南道 公州市 熊津路 280(충청남도 공주시 웅진로 280) 

【観覧時間】9:00~18:00 ※ 観覧終了時刻30分前まで入場可能       

   ※ ソルラル(旧正月)・秋夕(旧暦8月15日)当日を除く毎日観覧可能 

【料金】 

  • 大人 (満19歳~満64歳)1,200ウォン 
  • 青少年(満13歳~満18歳)800ウォン 
  • 子ども(満7歳~満12歳)600ウォン 
  • 乳幼児(満6歳以下)・高齢者(満65歳以上)は無料 

国立公州博物館

パンフレットによると「国立公州博物館は、 1971年に発掘調査が行われた武寧王陵や大田・忠清南道地域から出土した国宝19点、宝物4点を含む36,356件62,185点の文化財を保管しており、学術的価値の高い重要文化財は常設展示と特別展示で公開しています」と案内されています。 

武寧王と王妃の墓が盗掘されずに見つかった事で、これまで謎が多かった百済文化が明らかになったそうです。

写真の金製冠飾やその他、王と王妃の装飾品や副産物が展示されています。 なお手前に説明がありますが、右上に赤く印がついているものは国宝です。 

◆国立公州博物館

【住所】忠清南道 公州市 観光団地キル34(충청남도 공주시 관광단지길 34) 

【観覧時間】平日 10時~午後6時       

                 土日祝日 10時~午後7時(4月~10月の土曜日は午後9時まで)       

                 休館日 1月1日/旧正月/秋夕(陰暦8月15日)/毎週月曜日 

【料金】無料(企画展示は場合により有料となる場合あり) 

※観覧秩序の維持および利用客の安全等のため「無料観覧券」を発行。チケットカウンターにて無料観覧券の発給を受けること  

※コロナ禍で人数規制の関係があり、午後は1時間待ちも見られました。午前中早めにお出かけになるか事前に予約なさるかが賢明です。

【サイト】 国立公州博物館(日本語)  

企画展「武寧王陵発掘50年、新たな地平に備えて」

※2022年3月6日で終了しております

< 展示にあたって(パンフレットより抜粋) > 

1971年7月、「公州武寧王陵と王陵園(旧・宋山里古墳群)」で1基の塼築墳が偶然見つかりました。墓の入口に置かれた誌石から被葬者が百済代25王・武寧王とその王妃であることがわかり、百済史と東アジア史の研究に新たな地平を開きました。国立公州博物館は武寧王陵発掘50周年を記念して、特別展「武寧王陵発掘50年、新たな地平に備えて」を企画しました。 

本展では、5,232点の武寧王陵出土品すべてを公開します。1971年の発見以来、武寧王陵出土品すべてを一堂に公開するのは初めてです。 

50年前の夏の発見は、公州にとって夢のような奇跡です。本展が、熊津百済の象徴である武寧王陵の価値を見つめ直す良い機会となれば幸いです。 

一時期、混乱はあったものの、武寧王の時代には王権も回復したと言われています。

王の棺。実に圧巻でした。 

国立公州博物館の表紙の写真のこの豚のような像については、想像上の生き物との事。王を護っているのだそうです。

※上記写真は、企画展で見たものの案内となります。企画展終了後、通常の常設展では見られない可能性もあります。ご了承下さい。

さて、本来なら、まだまだ他にも沢山ご紹介するところはありますが、次の扶余へと移ります。

扶余(プヨ)

さて、続いて扶余(プヨ)のご紹介です。 

公州と同じく百済の都でしたが、同じ都でもこちらは百済最後の都。百済滅亡に関する遺跡が多く残り、どことなくその歴史に悲しさが漂います。 

扶余は当時の「サビ」にあたります。 

第26代 聖王(聖明王)は、538年に遷都しました。扶余では仏教文化も花を咲かせ、日本に仏教が伝来したのも、この頃。防衛の中核だった扶蘇山城の目下には、錦江が見えます。錦江は別名、白馬江と呼ばれています。 

660年、唐と新羅の連合軍によって、百済は滅ぼされてしまいます。百済の遺臣は、日本に援軍を要請します。それが古代日本史に登場する「白村江(はくすきのえ)の戦い」です。

国立扶余博物館 

国立扶余博物館と言えば、最初に挙げるのはこの金剛大香炉をおいて他にありません。 

1993年にこの金剛大香炉は発掘されました。百済文化とともに、その技術力の高さも証明しています。街中の至るところでシンボルとなっているのが見られます。 

国宝の「百済金剛大香炉」。これは第2展示室で見ることが出来ます。

かつて百済の遺物は少なく、新羅より技術が劣っていたのではないかという説もあったそうです。それを覆したのがこの百済金剛大香炉です。 

扶余の陵山里遺跡からこの大香炉が発掘されたことにより、百済の技術力の高さが証明されることになったと言われています。 

この大香炉は高さ62cm、重さ11.8kgもあるそうです。発見されたのは井戸の中からでした。百済滅亡の折、他に隠す場もなかった為、とっさに井戸の中に投げ込まれたのではないかと見られています。 

その後、660年~1993年発掘までの間、百済とともに、井戸の中に眠っていたと言われています。 

細工や装飾の技術と美しさをご確認下さい。この大香炉を語られる時、以下の4点が必ずあがります。 

  • 龍の台座 
  • 満開の蓮の花 
  • 蓋の部分は山並みに釣人、象に乗る人が象られている 
  • 最上部は躍動的な鳳凰が象られている 

当時の東アジア最大の傑作のひとつとも言われているそうです。

◆国立扶余博物館

【住所】忠清南道 扶余郡 扶余邑 錦城路 5 (충청남도 부여군 부여읍 금성로 5) 

【観覧時間】平日   9時~18時(土・日・祝日19時まで)       

                 夜間開場 4月~10月(土曜日21時まで)       

                 こども博物館 9時~18時       

                 休館日 毎週月曜日、毎年1月1日 

【サイト】 国立扶余博物館 

定林寺(チョンニムサ)

定林寺は百済後期の寺院です。 

発掘調査によると、金堂や回廊が並ぶ壮大な寺院であったと推測されています。現在は寺院そのものは残っていません。しかし、金堂址、中門址、回廊址、講堂址などが確認・保存されており、 これらは、建物を南北一直線状に配置するという典型的な百済様式が確認されています。 

当時、都の中心に建設された定林寺。当時の王宮・泗沘城(サビソン)と別宮・美しい庭園・宮南池(クンナムジ)の間に建設されました。百済王室の最も重要な大寺院だったと言われます。2015年には「百済歴史遺跡地区」の1つとしてユネスコ世界文化遺産にも指定されました。 

なお、定林寺は百済滅亡後、高麗(コリョ、918~1392年)時代に再び繁栄しました。1028年に改修されたことも分かっているそうです。 

定林寺址五層石塔(国宝第9号)

一番の見所は中央にそびえる国宝、「五層石塔定林寺址五層石塔」です。 

百済時代から1400年もの間、雨風に打たれながらその姿を現代までとどめています。1400余年の時を超えたこの石塔は、百済の石塔様式を見せてくれる貴重な遺跡です。 

百済の仏塔建築の特徴の1つとして、従来の木造から石造への変化があります。定林寺址五層石塔は「韓国の石塔の元祖」とも言われています。 

百済後期に建てられたこの石塔は、創造的な試みが細部にいたるまで施されています。通常、百済石塔と言えば小規模で細部を簡略化したものが多く見られるそうです。 

しかし、この石塔は、狭くて低い単層基壇そして柱の上に行くほど細くなるペフルリム様式という、それまで中心だった木造仏塔の技法を取り入れながらも、模倣を脱却し独自の構造を確立したことをと見ることが出来ます。 

なお、同じ様式の石塔が日本の東近江市の石塔寺にもあります。滅亡後の百済から逃れた百済人から伝わっているのではないかと推論されています。 

石塔には焼け跡とともに「大唐平百済国碑銘」の文字が見えますが、唐の連合軍が百済を陥落させた記念に刻んだものだと言われています。 

定林寺址石仏坐像 宝物第108号

国宝「石仏坐像」は、百済滅亡後、高麗時代に再び繁栄した定林寺の本尊仏だったと考えられていています。 

右手部分や左ひざなどの破損・摩滅がひどく残念ながら詳しい技法や様式はわかっていません。しかし、その狭い肩幅更に胸の位置にある左手などの様式から、毘盧遮那(びるしゃな)仏でほぼ間違いないと考えられています。 

  • 蓮の花の形の台座 
  • 下部分に刻まれた蓮の花の模様

これらは芸術性にも優れていると言われています。

※頭と笠の部分は、高麗時代よりずっと後世になって作られたものだそうです。 

◆定林寺址(五重石塔・石仏坐像)

【住所】忠清南道 扶余郡 扶余邑 東南里 254(충청남도 부여군 부여읍 동남리 254) 

【観覧時間】(3~10月) 9時~18時(最終受付17時)       

                 (11~2月) 9時~17時(最終受付16時) 

※年中無休 

まとめ

いかがでしたか?私は初めて行きましたが、公州・扶余では至る所で百済の歴史をたどることが出来ました。 

特に2015年に世界遺産登録がされたばかり。今、行けたことも良かった気がします。 

ご興味のある方に少しでも百済の歴史の旅のおすそ分けが出来たら幸いです。 

ライター ( uracjko )

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